千栗八幡宮

歴史的要所に立つ鎮守の社

千栗八幡神社は、北茂安校区白壁地区にある由緒ある神社です。毎年3月15日に、日本三大粥祭りの一つである「お粥だめし」(通称「おかいさん」の神事)、8月1日には「名越祭」(通称「輪くぐりさん」)、9月15日に秋の大祭「放生会」・「行列浮立」が行われます。
また、1992年のバルセロナオリンピック金メダリストである柔道の古賀稔彦選手は、この神社にある146段の石段を足腰の強化のために上り下りしていたこともあり、スポーツの鍛錬として石段を使ってのトレーニングに励む人達も少なくありません。

 

由来 

「鎮西要略」によれば「神亀元年(724年)肥前国養父郡の郡司壬生春成が八幡大神の御神託を蒙(こうむ)って千根(ちこん)の栗が生えている地に創祀した」と伝えられています。

なぜ「千栗」と書いて「ちりく」と読むかというと、壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて弓の先に止まりました。その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ました。翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから「くり」を逆さにして、「ちりく」というようになったとの言い伝えがあります。

承平年間(931年〜938年)に宇佐八幡宮の別宮になり、以来、五所別宮(大分八幡・千栗八幡・藤崎八幡・新田八幡・鹿児島神宮)の一と称せられ朝廷からも厚く崇敬を受けていました。
慶長14年(1609)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を賜りました。
中世以降は肥前国一の宮と呼ばれています。

      
千栗八幡宮

 
お粥堂                     手水舎


神馬と御神籤処

 

神社メモ

御祭神:   応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
               難波皇子、宇治皇子、住吉明神、武内宿禰

祭礼日:祭旦祭: 1月1日

御粥祭・祈念祭: 3月15日(粥占神事)

名越祭: 8月1日(茅の輪神事)

秋季大祭:  9月15日(放生会・行列浮立)

御神幸: 9月第三日曜日

お火焚き神事:12月31日

境内社:   武雄神社、鳩森稲荷神社、天満宮 


武雄神社 
屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころのみこと)をお祀りしています。
孝元天皇の皇子、彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の子どもにあたります。
長じて祭祀・占(ト)を司る任にあたり、景行天皇に仕えた臣下で
高良大社の御祭神武内宿禰の父と言われています。

昔から手足の神様といわれ、手や足の痛みに霊験を顕し多くの人がそのご神徳を戴いています。
手や足に痛みのある人は奉納されている木型を持ち帰り、患部に当て快復を祈念し、治癒御礼には
新しく手・足の木型を作り奉納します。

また、左右に供えられた狛犬の表情豊かな顔が、柔らかな癒しの空間を演出しています。

 


鳩森稲荷神社
壬生春成の弓の先に止まったと言われる八幡神の御使である白鳩を祀ってあります。
火炎鎮護・家内安全・商売繁盛・交通安全にご利益があるといわれています。

 

ご朱印とご朱印帳

 

ご朱印は社務所で頂けます。


白鳩と勝栗をあしらった千栗八幡宮のご朱印帳です。

 

周辺スポット

千栗八幡宮周辺の参道は「のこぎり形町並み」になっています。「のこぎり形町並み」とは、道路の端がギザギザにかたどられ、家の軒がデコボコに突き出ている町並みの事をいいます。なぜ「のこぎり形」になっているかというと、戦乱で敵が攻めてきた時に建物の陰に隠れて迎え撃つためという説があります。

南北朝時代、神社の西には千栗城が築かれ、戦国時代にはこの神域も戦乱に巻き込まれ社殿も幾度となく焼失した歴史がありますが、その度に領主、竜造寺氏や鍋島氏によって社殿の再興が行われています。

参道周辺に住んでいた人達もこのたびかさなる戦火を受けて、このような建築の知恵を働かせたのではないでしょうか。
近年集落道路整備が行われましたが、この「のこぎり形町並み」を残すように配慮されたため、現在でも見ることができます。
千栗八幡宮に行かれた際には参道を歩いて「のこぎり形町並み」を体感してください。

      
千栗八幡宮の参道の「のこぎり形町並み」

 

千栗八幡宮の場所

住所:みやき町大字白壁2403


より大きな地図で 千栗八幡宮 を表示

近くのみどころ

(C)Miyaki Sanpo. All Rights Reserved. powered by みやき町観光協会.